新聞論調
アギナルドの崇高な理想は未だ遠く 独立から128年の比の現在地
1898年6月12日、当時、革命軍の将軍だったエミリオ・アギナルドがスペインからの独立を宣言してから約6か月後、彼はブラカン州のマロロス議会にて、初代フィリピン共和国大統領としての就任演説を行った。
彼は、外国の支配に縛られず、法に基づくリーダーシップによって導かれる国家ビジョンを表明した。「フィリピンには基本法が制定され、国民は、最も強固な連帯によって他国と結ばれることになる。それは、正義、法、そして権利という、人間の尊厳の基盤となる永遠の真理による連帯である」と。
比が独立を勝ち取ってから128年が経った今日、アギナルドの崇高な言葉は空虚に響くばかりである。
今日のわが国は、彼の政治的ライバルであったコモンウェルス大統領マヌエル・ケソンの言葉を反映しているかのようだ。「アメリカ人による天国のような統治よりも、フィリピン人による地獄のような統治の方がましだ」――1939年12月の演説で、ケソンは、自治は外国による統治に劣ると主張する者たちに対し、この有名な言葉を残した。
上院で、議員たちが支配権を握るために法を曲げ、紛糾している今、この言葉は奇妙なほど予言的だ。一体どの地獄の階層において、議員が「上院が攻撃を受けている」と主張し、同僚が逮捕から逃げおおせることがあり得るというのか。
国際刑事裁判所から人道に対する罪の共犯者として起訴された逃亡者を庇うために、一部の上院議員たちが、自国の人道法や法律家の見解、さらには最高裁判所の判決さえも疑問視するに至ったのは、一体どのような悪魔的な意図によるものだろうか。
統治の失敗は、迫るサラ・ドゥテルテ副大統領に対する上院での弾劾裁判にも表れている。サラ氏は以前、公的信頼への裏切り、憲法違反、汚職、収賄、説明のつかない資産、約6億1250万ペソの機密費の不正流用の疑い、そしてマルコス大統領夫妻や元下院議長のロムアルデス氏に対する露骨な殺害予告を理由に、下院によって弾劾訴追されていた。
上院の膠着状態の背景には、単なる責任追及以上のもの――すなわち、2028年の大統領選挙に向けた戦略的な政治的提携や駆け引き――があるのではないかという憶測が飛び交っている。
この国の第二の要職にある人物にこうした疑惑が生じ、なおも強硬な姿勢を崩さないという事実は、金銭、権力、地位が、公的信頼としての「公職」という概念をいかに蝕んできたかを浮き彫りにしている。
洪水対策をめぐるスキャンダルもまた、典型例と言える。一部の上院議員や民間業者、インフラ関連機関の職員らが公金に手を伸ばす一方で、一般市民は、手抜き工事や形だけの事業によって壊滅的な被害を強いられているのだ。
汚職が公共の安全をおびやかす別の例が、パンパンガ州で建設中の9階建てビルが倒壊し、少なくとも30人が死亡した最近の事故である。また、今週初めに発生した地震により、ミンダナオ島の複数の商業施設、学校、病院で構造的な損傷が生じたことも、建築基準法の施行の不備を浮き彫りにした。
2027年初頭まで続く可能性のある「スーパーエルニーニョ」の懸念が高まる中、こうした怠慢は許されない。中東戦争による経済状況の悪化で、すでに苦境に立たされている人々の生活に影響を及ぼしかねない干ばつ、猛暑、破壊的な台風といった深刻なリスクに対し、指導者たちは十分な対策を講じているのか。
とはいえ、暗い政治情勢の中でも、明るい兆しが見られる。例えば、下院は、一族の政治的支配の排除を目的とした「反王朝法案」を可決した。同様に「情報公開法案」も可決された。
洪水対策スキャンダルに関与した要人らに対する起訴は、司法制度への信頼を再び呼び起こした一方で、副大統領の弾劾は法の支配を再び試すものとなっている。昨年、政府がロドリゴ・ドゥテルテ前大統領を国際刑事裁判所に引き渡し、現在、共犯者とされるデラロサ上院議員の行方を追っていることから、一部の政府機関にも、まだ更生の余地があるかもしれない。
汚職、経済的苦境、そして政治的日和見主義からついに脱却するという展望は、私たちが128年間にわたり追求し続けてきた理想である。その道のりは困難を極めるかもしれないが、選挙の時期が来れば、ケソン氏の言葉の後半部分を心に留めておくことが助けとなるだろう。「……なぜなら、フィリピンの政府がいかに悪かろうとも、私たちはいつでもそれを変えることができるからだ。」(12日・インクワイアラー社説)








