内山安雄のフィリピン&アジア取材ノート第213回 海外旅行は危険がいっぱい
たまにはアジアから、あるいはフィリピンから遠く離れた国の話をしてみよう。
海外では思いがけない事件や事故に巻き込まれることがよくある。東西の冷戦が終わろうとしていた時代、社会主義国の東ドイツでこんな事件に遭遇した。
当時〝陸の孤島〟と呼ばれていた西ベルリンから商用で隣国の東ドイツに出かけた。国際列車で東ベルリンから乗りこんできた人品卑しからぬ老夫婦と知り合う。ご主人のほうはとても流ちょうな英語をしゃべる。それもそのはず、かつて国際機関に勤めていたのだとか。定年退職した今、海外旅行をしたいところだが国の方針でそれがままならない。代わりにこうして定期的に国内旅行を楽しんでいるのだという。
他に相客のいないコンパートメントで会話が盛り上がってきたところで――。
「しばらく我が国を周遊するんだったら東ドイツの通貨が必要でしょう。公定の為替レートよりもずっといいレートで、必要なだけいくらでも両替してあげますよ」
聞けば、公定レートの四倍の値段で西ドイツのマルク紙幣をいくらでも両替してやるという。悪い話ではない。だが個人間の両替は社会主義国の東ドイツでは闇取引として厳しく禁止されているはずだが……。
熱心に勧めてくるので、とりあえず数万円の西ドイツ紙幣を両替しようと思い立つ。
夫に寄り添ってしきりに相づちを打つ奥さんの何やら落ち着きのない目つきにちょっとした違和感を覚える。何かがヘンだ。
ご主人が用意してあったらしい自国通貨の紙幣の束を荷物から取り出し、私の手に押しつけるようにする。ますます違和感あり。両替の仕方がかなり執拗なものに思える。
ふと見ると、老夫婦の目がらんらんと輝いている。何か企みのある目つきに感じられる。
私は手のひらをぎゅっと握りしめ、札束の受け取りを拒もうとした。ゴム輪で止めた紙幣の束が音を立てて床に転がる。
とっさに立ち上がり、トイレに行くふりをする。するとコンパートメントの重々しいドアが私の現前でさっと開いた。お揃いのダークスーツを着込んだ、目つきの鋭い中年男性が二人、勢いづいて室内に飛び込んできた。
私は図体の大きな二人組の間を縫うようにして通路に飛び出した。こうして間一髪で難を逃れる。
相手は東ドイツの泣く子も黙る秘密警察、シュタージの工作員だったと後にわかる。
一つ間違えれば外為法違反での逮捕は必至、全財産没収の憂き目に遭うところだった。おとり捜査に協力した老夫婦も秘密警察の手先に違いない。旅先では油断も隙もあったものではない。やれやれ。
その昔フィリピンでも警察官や税関など役人がらみの似たような事例がいくらでも起きていたものだ。さて今はどうなんだろう。





