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祖国への愛の欠如を思い起こさせる エドサ革命記念日に祝うことは何か

1990字||社会|新聞論調

 フェルディナンド・マルコス・シニアとその20年間の独裁政権に抗い、ピープルパワーが起こした歴史的な無血蜂起を記念する今、エドサについて何も語らないのはフィリピンらしくない。しかし、1986年のあの週に自由のためにエドサに集結した男女に敬意を表しつつも、私はどうしても疑問に思う。40年経った今、ノスタルジアに浸る以外に、あの出来事について語るべきことがあるだろうか。

 なぜなら、私たちは今、終わりのない、吐き気を催すような腐敗の悪循環、王朝支配下のエリート主導の政治、そして常に成長に苦しむ経済の中に迷い込んでいるように見えるからだ。ピープルパワーが命をかけて必死に排除しようとしたまさにその一族を、恥知らずにも権力の座に復帰させた今、一体何を記念すべきなのだろうか。

 また2028年の大統領選挙で今のところ最有力候補と目されているのが、何千人もの男女、子供、そして麻薬密売人とされる人々を殺害した血みどろの麻薬戦争の立役者の娘だという状況で。要するに、エドサ後に私たちを率いた人々は、大小さまざまな形で私たちを失望させ、破られた約束、薄れた夢、そして深まる幻滅を残していっただけなのだ。こうして私たちは今、マルコス2.0の時代に生きており、数年後にはおそらくドゥテルテ2.0の時代に再び直面することになるのだ。

 一方で、ジャーナリストのジョン・ネリー氏がFacebookでエドサに関するドキュメンタリーについて投稿しているのをみた。実際に現場にいて、抵抗を続けた人々の姿や話を聞くのは、いつも胸を打つものがある。エド・リンガオ氏、JP・フェニックス氏、修道女たち、そしてその他多くの人々が、あの4日間に何が起こったのかを語っている。

 また、ニック・ホアキン氏が1986年のピープルパワー革命について書いた『虎の月』という魅力的な記事も、いつも読み返したくなる。

 「当時のフェルディナンド・マルコス大統領を、『2月25日火曜日に彼を待ち受けていた、あの惨めな小さなショー』に備えることは誰にもできなかっただろう」と物語は続く。数字を足すとマルコス大統領の幸運の数字とされていた7になるからという理由で、その日付が選ばれたとされる、2月7日の大統領選挙で勝利したとされ、就任式が行われ、マルコスは宣誓を行ったが、二度と大統領になることはなかった。「かつての強権政治家が厳粛に右手を挙げて宣誓した瞬間、テレビ中継は突然途絶えた」と、キハノ・デ・マニラというペンネームを使っていたホアキンは著書に記している。

 しかし、その熱狂と栄光に満ちた瞬間は、その後すべてが転落していくことを私たちは知っている。

 コリー・アキノ政権は、不安定化を企む陰謀と、党内の内紛を含む悪政の泥沼にはまり込み、特に、親族が経営するタルラック州にある6千ヘクタールを超えるサトウキビ農園、アシエンダ・ルイシータをめぐる土地問題の解決に失敗した。彼女の政権は包括的農地改革を実施したが、この農園は法の抜け穴を利用して土地ではなく農民に株式を分配し、結局、一族は今日に至るまでアシエンダの支配権を握り続けたのだ。

 コリー氏の任期中に、二大政党制を廃止した1987年憲法という新しい憲法が制定されたが、この新しい制度は、腐敗した役人が自らを刷新し、権力の座に返り咲くことを可能にした。今の上院を見ると、確かに上院議員はいるが、略奪者、元受刑者、そして権力の座に返り咲く者たちの姿がめだつ。

 こうして、多くの人々、特に農民や漁民は貧困に苦しみ、疎外されたままだ。大企業は繁栄し拡大したが、その一部は低賃金労働者や従業員を犠牲にしてきた。問題はビジネスそのものではない。貪欲で不誠実な実業家と腐敗した政府高官の共謀こそが間違っているのだ。

 しかし、特定の指導者や政党に責任があるわけではない。私たちが直面しているのは、フィリピン人という民族のアイデンティティの奥深くに根付いた、体系的かつ文化的な不調なのかもしれない。それが私たちを今の状態、つまり「ここでもあそこでもない」状態に留めている。

 これはフィリピン人に共通する特徴だ。私たちはすぐに反撃するが、同時に簡単に気を散らされ、振り回されたりする。あるいはもっと悪いことに、かつて打ち負かそうとしたまさにその鬼と化してしまう傾向がある。

 私たちのほとんどが日々の苦労を生き延びるのに精一杯で、正義のために戦うことなどもはや気にも留めていないことも原因の一つだろう。

 エドサ革命は、私たちが選ぶ指導者の良し悪しによってのみすべて決まるということを私たちに思い出させてくれることにあるのだ。指導者たちは私たちの祖国への愛――より正確に言えば、その欠如――を反映したものだからだ。(24日・スター、アイリス・ゴンザレス)

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