「略奪罪」を犯すのは公職者だけでない 企業の大規模な公金の略奪にも法的規制を
共和国法7080号は、「略奪行為」をある一方向からのみ捉えている。同法によれば、略奪とは、公職者が一連の不正行為を通じて、少なくとも5000万ペソの財産を蓄積した際に成立する犯罪である。つまり、国庫を略奪する腐敗した公務員という特定の悪役のみを念頭に置いて制定されている。
しかし、歴史はそうではないことを示している。一般の納税者から私腹を肥やす者たちへの巨額の富の移転は、企業によって仕組まれたものもある。そうした企業が無謀な行動や意図的な規則違反をし、政府が救済せざるを得なくなるのだ。
利益は民営化され、損失は社会化される。2008年、米国では、銀行が証券に組み立てた無謀な住宅ローンが破綻し、米国議会は7000億ドルの拠出を承認している。
大西洋の向こう側では、英国政府がたった1行の銀行を国有化するために約450億ポンドを費やした。アイルランドは自国の銀行の600億ユーロを超える救済費用を国民に負担させ、長年にわたる緊縮財政へと追い込んだ。学校や病院、年金制度が、その過ちのツケを払わされたのである。
起訴された経営幹部はごくわずかだった。多くの経営幹部がボーナスを受け取る一方で、その負債の負担を背負わされたのは国民だった。「利益は民営化され、損失は社会化された」のである。
フィリピンも同様だ。過去数十年にわたり、特定の借り手に与えられた特恵融資は、最終的に中央政府が吸収せざるを得ない債務へと転化させられ、その負担は数十年にわたり納税者にのしかかってきた。
電力部門では、独立系発電事業者との過酷な「テイク・オア・ペイ」契約により、国民は一度も消費されなかった電気代を支払わされることとなり、その結果生じた負債は、国内のすべての電気料金請求書に上乗せされた。
公共交通機関においても、ある鉄道路線の「収益保証」契約により、政府は約束された利益と実際の収入との差額を補填するため、毎年数十億ペソ規模の補助金を投入している。いずれの場合も、民間事業者は、利益は自らに、損失は国に負わせる契約を組み立て、その金額は、公務員による略奪罪の構成基準額である5000万ペソをはるかに上回っている。
民間の公共交通車両保有企業に対しても同様の支援がされている。パンデミックの間、政府は、車両の運行が維持されるよう燃料補助金を拡大し、賃金支援を行った。移動手段を維持することは公共の利益に資するものであったため、その多くは正当化できた。しかし、規制当局が許可した範囲を超えて車両数を増やした企業などが支援されると、その性質は全く異なるものになってしまう。
企業が故意に大規模な規制違反を行い、その違反を通じて自らを豊かにし、その結果として政府が吸収せざるを得ない損失やリスクを生み出した場合、法律はその被害の重大さにふさわしい対応をとるべきである。そのための手段は、すでに萌芽的な形で存在している。
議会は、大規模な農産物の密輸など、特定の経済犯罪が経済的破壊行為に相当することを認めている。その論理をさらに推し進めよう。違反が立証された期間中に得られた利益の自動没収を法制化すべきだ。その計画を承認した取締役には、個人および連帯責任を課し、規則違反が行われていた期間に支払われた配当金や賞与を回収すべきだ。
国の真価が問われる。5000万ペソの横領罪で州知事を投獄できる一方で、国庫に数十億ペソの損害を与えた企業の違反に対しては、単に罰金を科すだけでは、正義の天秤が崩れている。
救済措置が必要になることもあるだろう。危機は現実のものであり、不可欠な機関を崩壊させれば、何よりも無実の人々が最も大きな被害を受けることになる。しかし、必要性は免罪符にはならない。救済措置には、あらかじめ定められた条件が伴うべきである。
企業が国民を犠牲にして私腹を肥やしたのなら、それは略奪行為に他ならない。法がそう断じる時、比は国民にふさわしい共和国に一歩近づくだろう。(7月14日・スター、ジョージ・ロイエカ氏)








