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比地域文学・歴史研究の巨人が逝く 国民芸術家のレシル・モハレス博士

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 9月5日、誕生日の翌日にレシル・モハレス博士が83歳で逝去した。彼抜きで、フィリピン文化を考えることは難しいほどだ。

 2018年に「国民芸術家」の称号を授与されたモハレス氏は、地域の文学や歴史の振興における第一人者である。「セブアノ研究センター」の創設所長として、彼はセブアノ語および国民的アイデンティティの形成にも先駆的な役割を果たした。

 また、60年以上にわたり、彼は小説、ジャーナリズム、文学批評、文化研究など多様な形式で、120冊以上の書籍、単行本、アンソロジー、エッセイ集を出版した。その中には、『マリアン・マキリングを待ちながら:フィリピン文化史エッセイ集』、『サントニーニョの祭典:セブアノの信仰史入門』、 『フィリピン文化史における問いかけ:アテネオ・デ・マニラ講義』、そして彼の最後の出版作であり、集大成とも言える『謎めいたオブジェ:フィリピンにおける博物館史への覚書』などが含まれている。

 2019年、セブで最も長い歴史を持つ地方英字紙『ザ・フリーマン』は、モハレス氏を「セブの人物トップ100」の一人に選出した。晩年まで、彼はセブ市を拠点とし、サンカルロス大学の名誉教授として執筆活動を続け、研究者たちの指導にあたるとともに、ビサヤ地方の歴史学および文学界の中心的な支柱であり続けた。

 モハレス氏は1943年、北サンボアンガ州ポランコ町で、公立学校の教師である両親の間に生まれた。彼はサンカルロス大学で特にドイツ人の人類学者、ルドルフ・ラーマン神父らの指導を受け、文学の学士号、修士号を取得、その後はフィリピン大学ディリマン校に進学し、比較文学の博士号を取得。そこで『フィリピン小説の起源と興隆』という論文を執筆した。

 1975年、彼はサンカルロス大学にセブアノ研究センターを設立し、初代所長に就任した。同センターは現在、セブ地域に関する研究・資料収集の拠点として位置づける重要な研究機関となっている。地域研究における先駆的な研究センターの所長として、彼は資料の整理や収集、マニラや海外に拠点を置く文化機関や団体との重要な連携を築いた。

 同氏はまた、フィリピン大クリエイティブ・ライティング・センターからフェローシップを授与されたほか、フォード財団、トヨタ財団、ロックフェラー財団、フルブライト・プログラム、ニューヨークの社会科学研究評議会から教育・研究フェローシップを授与された。加えて、京都大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、シンガポール国立大学などで客員教授または客員研究員も務めている。

 モハレス博士の業績は、芸術、文化、歴史の幅広い分野に及んでいた。彼は、比国立歴史委員会から特別委員会の委員長に任命され、わが国の歴史における重要な史実の一つ、すなわち最初のミサがどこで執り行われたかを特定する任務を担った。マスコミで「モハレス委員会」と呼ばれたこの委員会は、2021年のマゼラン到来500周年記念行事に関連し、フィリピン500周年記念委員会のために、この歴史的な論争を解決しなければならなかった。

 1521年の「最初の復活祭ミサ」の開催地を特定する任務を負ったモハレス委員会は、分析にあたり一次資料と二次資料を活用した。一次資料としては、歴史的記録(アントニオ・ピガフェッタの日誌、スペイン王立公文書館の文書、その他の航海者の日誌など)、考古学的証拠、および教会の公式記録などが用いられた。二次資料としては、さまざまな歴史的分析、先行研究、歴史的文脈の考察、地図や地理学的研究などが活用された。

 委員会は資料を総合的に検討した結果、南レイテ州のリマサワ島が最初の復活祭ミサの開催地であったという結論に達した。この画期的な研究では、歴史的記述の信頼性と、考古学によって提供された物的証拠の両方が考慮された。

 モハレス博士の生涯は、傑出した功績に満ちたものであり、彼は「国の頭脳」と呼ぶにふさわしい数少ない人物の一人であった。(9月8日・マニラタイムズ社説)

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