まやかしの「より安全な都市」政策 貧困層の取り締まりよりも真に必要な環境づくりを
内務自治省(DILG)が、首都圏における犯罪や危険の要因を特定するために、いったいどれほど飛躍した論理を展開したのか、実に驚くべきことだ。その要因とは、上半身裸の人々、酔っ払い、そして音痴な人々である。
「より安全な都市」イニシアチブの下、国家警察は、指令発表後わずか72時間で、首都圏において驚異的な4万8257件の摘発を行ったと報告した。摘発事例の大部分は公共の場での飲酒や喫煙が占め、次いで上半身裸での外出、未成年者の夜間外出禁止令違反、カラオケ営業時間の超過が続いた。4月7日から8日にかけて摘発された2万3376人のうち、7839人が罰金処分、403人が正式起訴、1万5584人が警告を受けて釈放された。
「これは最後通告ではなく、秩序の維持には自己規律が不可欠であることを認識してもらうためのものだ。一人ひとりが規律を守れば、私たち全員の安全が守られるのだ」と、国家警察のホセ・ナルタテス長官は述べている。
どうやら、これが当局の描く「平和な社会」らしい。レムリヤ内務自治相の指示書には、「ゲンゲン(ギャングのメンバー)」や「バカども」への警告が散りばめられ、礼儀正しさを徹底させれば犯罪の連鎖を断ち切れるかのような印象を与える。
内務自治省は「より安全な都市」と「エリートの居住区」を混同していないか。貧しい人々を目につかない場所に追いやれば、都市は安全に感じられるかもしれない。しかし、安全は単なる「感覚」だけで測れるものではない。
この取り組みは社会から疎外された人々を摘発する手段となっており、初日だけで200万ペソ近くの罰金が徴収されたことから、都市部の貧困層に対する一種の税金のように思われ始めている。人権監視団体が指摘しているように、これは統制が機能しているように見せかけるキャンペーンに過ぎず、失業や深刻化する燃料危機といった不安定さの根本原因には全く対処できていない。
トンドの狭い路地で玄関先に上半身裸で座っている男は、国家安全保障上の脅威などではなく、猛暑のマニラでエアコンのない家に暮らす、ごく普通の市民に過ぎない。同様に、未成年者に対する午後10時の外出禁止令は、すべての10代が身分証明書を持ち、定住先があることを前提としている。それは、仕事をしている若者や、路上販売者、そして行く当てのないホームレスの若者たちの存在を無視しているのだ。
犯罪防止が目的ならば、同省は、実際に市民を恐怖に陥れている事件に注目すべきだ。昨年8月の金曜日の夜には、マラテの路上で日本人男性2人が射殺された。もっと最近では、トンドで交通渋滞中にナイフで脅され、身柄を拘束された女性ライダーの事件もある。
これこそが都市の治安の悪さを象徴する事例だ。同省は、上半身裸の男性を一斉検挙したり、カラオケの営業を停止させたりすることが、殺人犯や強盗を阻止するのに何らかの効果があると本気で信じているのだろうか?
単に服装規定を強制するのではなく、政府は環境面の安全対策に注力すべきだ。強盗事件が頻発する暗い路地を明るく照らし、一般市民が集まって交流できる広場を整備すべきである。首都圏のほとんどの地方自治体で、公共の広場は民間のショッピングモールに取って代わられてしまった。今では、深夜に歩道を歩いているだけでも、未成年者や貧しい人々は「たむろしている」とみなされうる。
同省の取り組みを放棄する必要はない。しかし、それは社会秩序と人権のバランスを保つものへと進化しなければならない。そのためには、権力乱用を抑制する策に加え、表向きの秩序維持から、人々を実際の危害から守ることに重点を移す必要がある。
自治体もまた、国民が路上に頼らなくても済むようなインフラ整備に投資しなければならない。例えば、家族が集まれる公園や、若者が遊び過ごせるジム、あるいは地域社会が「迷惑」と烙印を押されることなく存在できるような空間などである。真に安全な都市とは、恵まれない人々が身を隠さざるを得ない場所ではなく、彼らが恐怖を感じることなく、尊厳を持って夜道を歩ける場所なのだ。(13日・インクワイアラー社説)








