戦没者慰霊碑建立に尽力 比の歴史家モデスト・サオノイ氏
歴史家モデスト・サオノイ氏インタビュー。今年8月に建立された戦没者慰霊碑の実現の背景にある平和、比日友好を願う強い思いを語る
※この記事は2025年9月15日にまにら新聞で掲載されたものを、筆者の了解を得て再掲載したものです。
今年8月にネグロス島で新たに建立された戦没者慰霊碑の実現の背景には、平和と比日友好を願う比人歴史家の強い思いと働きかけがあった。
今年8月30日、比米日韓4カ国の国旗が並んだ戦没者慰霊碑が西ネグロス州ムルシア町で建立された。今から80年前にネグロス島の旧日本軍がこの地で降伏したことにちなむ。慰霊碑建立の背景には、ある比人歴史家の長年の強い思いと働きかけがあった。今年86歳になった州出身の歴史家モデスト・サオノイ氏に、慰霊碑建立の背景、そして日本占領期研究への思いを伺った。「私がこの慰霊碑を建てたいと思ったのは、日本との良い思い出もあるからだ」と、雨の降るなか、ネグロス名産の黒糖を入れた珈琲(コーヒー)とともに、同氏は幼い頃の記憶から語り始めた。
▽ある日本兵との幼い頃の記憶
サオノイ氏は1938年に同州で精米所を営む家に生まれた。42年に旧日本軍がネグロス島に上陸した頃、幼かった彼はある大柄の日本兵に肩車をしてもらった記憶があるという。「精米所を使うためによく日本兵が訪れ、その中の大柄の日本兵は私によく肩車をして一緒に市場を散策してくれた。大柄だったので、私は『ビッグ・ボーイ』(大男)と呼んでいた」と表情をゆるめ、懐かしそうに笑みを浮かべて語った。
彼の「日本」との体験は、実は戦争の前から始まっていた。「一緒に遊んだ近所の子で、父が日本人のレイ・ハバという名前の子がいた。母は小学校の先生だった。戦争が始まるとその父親は軍服姿になり、一家を連れて引っ越してしまった」とサオノイ氏。ハバ一家に限らず、戦前からネグロス島には庭師、調理師、酪農技師として比で雇われていた日本人が少なからずいたという。
小学校では日本語を教えられ、当時流行していた歌謡などを覚えた。同氏は「ああ、あの顔で、あの声で」で始まる『暁に祈る』や『愛国行進曲』を口ずさんだ。「意味はわからなかったが、音楽は好きだった。舞踊も一緒に習った」と言うと、彼は席から立ち上がり、歌と一緒に習ったという振り付けも披露してくれた。毎週日曜日には兵舎で祭りがあり、映画上映会で富士山の映像を見て、餅を食べたという。
▽疎開先で見た戦争の悲惨さ
1944年10月に米軍がレイテ島に上陸し、ネグロス島の部隊も多くが増援に送られた。去っていく日本兵たちは文房具や野球道具などを配り、氏は日本兵が投げた野球ボールをもらった。彼の家族も空襲や市街戦を予期して山間部に疎開したが、その時に初めて地方の飢餓や貧困の状況を目にしたという。「私自身は生活に困ることはなかったが、全てはその時の境遇によるもの。戦争とはこういうものだ。苦しみのない戦争はない。市民が犠牲にならない戦争はない」と振り返る。「大男」と慕っていた日本兵は乗っていた輸送船が沈没して戦死したという。「私はこのことを知ってとても悲しかった。彼はとても良い人だった」と嘆いた。
「慰霊碑を建てたいと思ったのも、日本とのこのような良い思い出もあったからだ。もちろん、現実は違った。全体では、人々は飢餓と貧困で苦しんでいた」と幼い頃の日本人との思い出を懐かしみながら、当時への複雑な心境を吐露した。
▽朝鮮半島出身者への思い
この地に慰霊碑が建てられるきっかけには、韓国人訪問者が深く関わっている。慰霊碑の設置場所を思案していた頃、韓国人訪問者がよく献花に訪れる場所があることを耳にした。韓国人神父なども訪れ、当時はわずかに花が並ぶ簡素な場所だったという。現地自治体首長にこの場所が旧日本軍降伏の地であると伝え、慰霊碑の建立が決まった。建設費には比政府の地方自治体支援基金が充てられた。
「飛行場で従事していたのはほとんどが朝鮮半島出身者や中国人だった。投降してきた部隊の中にも、『われわれは中国人だ』と叫びながら投降した事例もある」と当時の朝鮮半島出身者や中国出身者について言及した。
▽『抗日史』を執筆―より公平な著述を重視
歴史家としての彼の主要著作の一つに、地元ネグロス島の日本占領期を研究した『抗日史』(2011、Against the Rising Sun)がある。新出資料を用いながら、比人ゲリラによる市街地の破壊行為や、民間人への残虐行為についても詳細に記述している。市街地の破壊について、サオノイ氏も旧日本軍の破壊行為だと教わってきた。
本書では、ゲリラ側の「焦土作戦」の影響なども論じているという。「旧日本軍の残虐行為は否定しない。比人としてゲリラ側を擁護したいという思いもある。ただし、歴史研究は不公平であってはならない」と執筆背景を語った。
▽平和への思い
「私自身も日本兵にいとこを殺された。埋葬場所も知らない。この慰霊碑があれば、彼の魂に祈りを捧げることができる。この地は、4カ国が平和のために集まった地でもある。より多くの人々が戦争の無益さに目覚めてくれればと思う」と最後に語った。
同氏の著作は他に『西ネグロス州史』、『バコロド史』など。現在も比の歴史研究に専念している。息子のアウフレッドはバコロド市の由緒ある邸宅を改装したレストラン「マンション・デ・バコロド」を運営。父の歴史への思いを引き継いでいる。 (川上佳風)






