28年大統領選までサラ人気は続くか 過去には数多のどんでん返し
サラ・ドゥテルテ副大統領に関する通説の一つに、彼女が2028年5月の大統領選での当選は確実だというものがある。
しかし、現実はそれほど予測可能ではない。過去にも何度かあったように、当初は圧倒的なリードを誇っていた最有力候補が、屈辱的な敗北を喫し、歴史の塵芥と化してしまうこともあるからだ。
2026年9月、調査機関のパルスアジア・リサーチが全国の成人2400人に実施した2028年5月の大統領選に関する世論調査によると、ドゥテルテ氏が50%の支持率で首位に立ち、次いでビコール地方ナガ市のレニ・ロブレド市長が26%、ラフィー・トゥルフォ上院議員が12%となっている。
しかし、過去の大統領選挙では、初期段階でリードしていた候補者であっても、大統領に選出されなかった例がある。
1992年、一時は大統領選の勝利が確実視されていた下院議長のラモン・V・ミトラ・ジュニア氏は、当時の軍最高司令官であるフィデル・V・ラモス氏に敗れた。
ラモス氏は、比の選挙史上、すべての軍事基地、50の大都市、主要な州すべてでトップを確保できず敗北したにもかかわらず、大統領選に勝利した唯一の大統領である。選挙には「ヒマラ(タガログ語で奇跡)」というものがあるのだ。
また、2001年に失脚したジョセフ・エストラダ大統領の後を継いだ当時の副大統領グロリア・マカパガル・アロヨが、2004年、大衆の熱狂的な支持を集めた映画スターらに勝利したこともあった。
2010年の大統領選も熾烈な争いとなった。当初、世論調査でリードしていたのは、魚屋の息子として生まれ、自身の力で富を築いた企業家で、さらには下院議長と上院議長を兼任した経験もあったマヌエル・B・ビリヤール・ジュニア氏だった。
ところがこの選挙には、「メイ・ムルト(幽霊がいた)」。コリー・アキノ元大統領が選挙の9ヶ月前に死去し、悲しみに暮れる国民は、彼女の息子であるノイノイ・アキノ氏に投票したのだ。2位はカムバックを果たしたエストラダ氏で、ビリヤール氏は3位に沈んだ。
2016年の大統領選挙では、一時は最有力候補と目されていたジェジョマール・ビナイ前副大統領が最下位の4位に終わった。選挙前に世論調査で首位を走っていたビナイ氏は将来の閣僚となる顧問たちの採用をすでに始めていたとされる。
彼は、コリー・アキノ政権下でのクーデター(同政権下では9度あった)の際、戦闘服姿でマラカニアン宮殿に真っ先に駆けつけたことで知られ、人権弁護士として、またコリー(つまり、民主主義)の守護者としての威厳を築き上げていた。
ところが、大統領の座を奪取したのは、故郷のダバオ以外では事実上無名だった「ダーティ・ディゴン」ことロドリゴ・ドゥテルテ氏だった。
2026年7月に実施された非営利の調査機関OCTAの世論調査では、パルスアジアの調査結果と同じように、サラ氏が43%の支持率で首位に立ち、レニ・ロブレド氏が34%で2位となった。OCTAは①ドゥテルテ氏は依然として全国レベルでリードしているが、2位との差は9ポイントまで縮まっている②全国レベルでは、この差は調査の誤差範囲内に収まるほど小さい③統計的により顕著な動きが見られるのは地域レベル、特に首都圏である④ロブレド氏の支持率上昇は事実だが、局所的なものである⑤地域間および世代間の二極化は、構造的に変わっていない⑥これは初期の指標であり、予測ではない――のように説明している。
最後に、私見では、サラの強みは「部族的」な支持にある。ミンダナオの有権者の90%以上が、彼女を大統領に望んでいるからだ。しかし、過去の選挙と同様、2028年の大統領選の行方は、首都圏とルソン島のその他の地域が左右することになるだろう。(10月22日・スター、トニー・ロペス氏)








