90歳の残留日系2世に日本旅券 賀数さん、父の故郷・沖縄への訪問望む
90歳の比残留日系2世に日本旅券交付、父の故郷沖縄への訪問を希望。3月に那覇家庭裁判所が「就籍」許可
フィリピン残留日系2世の賀数アデライダさん(90)は23日、首都圏パサイ市の在フィリピン日本大使館で、日本旅券の交付を受けた。フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)の支援を受け、今年3月、那覇家庭裁判所から戸籍を新たに作る「就籍」の許可を得ていた。賀数さんは喜びを表すとともに、父の故郷である沖縄県を訪れ、親族との対面や父の墓参りを果たしたいと語った。
賀数さんは家族に付き添われて大使館を訪れ、濱田摩耶公使兼総領事から旅券を受け取った。濱田氏は旅券交付について「長年の願いを実現するための新たな一歩となることを心から願っています」と祝福した。また、PNLSCや各地の日系人会などと協力し、残留日系人の国籍確認や就籍、一時帰国に向けた支援を続ける方針を示した。
賀数さんは、日本旅券を受け取ったことについて喜びを語り、日本国籍の回復を望む他の残留日系人たちの願いもかなえられてほしいと訴えた。
沖縄への訪問時期については、子どもや孫と相談して決めるという。「今はまだ分からない。もう年を取っているので。若くて自分で何でもできるなら、いつでも行けるのですが、子どもや孫の了承なしにはどこにも行けません」と話した。それでも、訪日した際には日本にいる親族と会い、父の墓を訪れたいと希望している。PNLSCによると、9月に報道を通じて情報提供を呼び掛けたところ、沖縄の親族から連絡があり、賀数さんの訪問と父の墓参りを快諾したという。
PNLSCによると、賀数さんは1935年12月、ルソン地方ケソン州サリアヤ町に6人きょうだいの第4子、三女として生まれた。父の昇さんは戦時中、日本軍の通訳を務めたとされるが、終戦前に米軍の捕虜となり、長男とともに日本へ強制送還された。フィリピンに残された家族との再会は果たせず、1951年には父の死を知らせる手紙が届いた。
賀数さんは戦後の生活について、「1946年に10歳で取り残されてから、どうやって母を助け、家族みんなで力を合わせて、まともな暮らしができるように働いてきたか。その全てを伝えたい」と振り返った。父と離れ離れになった後も母親は再婚せず、きょうだいの中で現在も生存しているのは自身だけだという。
PNLSCによると、賀数さんは今年3月、那覇家庭裁判所から就籍の許可を受け、8月には沖縄県糸満市を本籍とする戸籍が作られた。(ロビーナ・アシド)








