もはや「レジリエンス」は言い訳にならない 拡大する洪水被害の責任追及の時
灰色の曇り空が続く日々、もし何か慰めがあるとすれば、それは「レジリエンス(回復力)」という言葉が輝きを失い、今や呪いとして見なされていることだ。
これまで、比人のレジリエンス、すなわち逆境を生き抜く比人の能力に対する見当違いの誇りが、政府高官たちに、職務怠慢の説明責任を免れる口実を与えてしまっていた。
国家災害対策本部によると、南西モンスーンと先月の熱帯低気圧の複合的な影響により、少なくとも250万世帯の880万人が被災し、各地で死者39人、負傷者18人、行方不明者3人が出ている。数万人が依然として避難所に留まり、さらに多くの人々が、洪水や土砂崩れで孤立した地域に取り残されている。
人的被害として、25歳のライナー・ノベロ氏の事例などが報じられている。アンヘレス市で冠水した歩道を歩いていた彼は突然、洪水で水没していた蓋のない排水路に飲み込まれ、遺体で発見された。また、タルラック市のアガナ橋が部分的に崩落した後にタルラック川に乗客4人の車が転落、これまでに2人の遺体が収容されている。
一方、北ルソン高速道(NLEx)を走行していたドライバーたちは、パンパンガ州サンシモン付近が洪水で冠水したため、最大10km、最長22時間の渋滞に巻き込まれた。2023年にも同様の事態が発生したため、NLExは当該箇所の路面を嵩上げしていたが、あまり効果はなかったようだ。
ある市長は、無情にも住民を顧みない姿勢を露わにし、洪水から逃れるために「自分で何とかしろ」と告げ、自宅に「2階を増築」して厳しい現実に適応するよう促した。
しかし、このような無責任な公職者を追及すべき時が来ている。洪水対策事業の調査により、複数の議員や請負業者が汚職や横領の容疑で起訴されたが、既存の公共事業やインフラの機能と安全性を確保する措置はほとんど講じられていない。
鋼製桁や標準的な支持構造が欠如している擁壁や道路の崩壊については、請負業者や事業提案者の刑事上の過失とされるべきである。政府もまた、河川の氾濫を防ぐ貯水施設の設置場所の選定に着手しなければならない。
NLExの経営陣は、大渋滞の発生について、全面的な責任を負うべきである。同様の事態は過去に発生しており、より永続的な工学的解決策を模索すべきだったからだ。
確かに、一連の暴風雨には気候変動が大きく関係しているが、豪雨の悪化は人間の貪欲さと怠慢に起因している。鉱業や商業開発によって森林が荒廃し、洪水対策事業が失敗し、水路がゴミやプラスチック廃棄物で埋まってしまったのだ。
いつものように比人の持つ「回復力」に慰めを求めるのではなく、パブロ・ダビッド枢機卿がフェイスブックの投稿で訴えたように、それを「集団的な抵抗」へと転換する時が来たのかもしれない。
今こそ、決定的な問いを投げかけるべき時だ。「巨額の公共事業予算は一体どこへ消えたのか」「それらの構造物を設計・建設したのは誰なのか」「安全かつ機能的な状態を維持するために、どのような維持管理措置が講じられていたのか」「どの政治家がどの事業を後援し――そしておそらくそこから数百万ペソを懐に入れたのか」と。
しかし、説明責任は双方向のものであり、市民もまた責任を負わなければならない。適切なゴミの処分、公共工事における漏水やひび割れなどの記録と通報、そして地域社会による森林再生キャンペーンの開始などは、役立つ取り組みの一例である。
とはいえ、政府の無能さによって引き起こされる慢性的な災難に対しては、もっと簡単で論理的な対処法がある。それは、公職での実績に基づいて候補者に投票することだ。今こそ、回復力という概念を捨て、守られなかった公約や意図的な怠慢を長く記憶にとどめるべき時である。(4日・インクワイアラー社説)








