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「ウタン・ナ・ロオブ」政治からの脱却を 弱者保護は恩ではなく権利

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新聞論調
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 比国民にとっての究極の悲劇は、彼らの良心にある。なぜなら、この国では政策を支持して選挙に投票するのではなく、政治家という名目の保険契約を買っているからだ。

 「ウタン・ナ・ロオブ(心の借金/内なる恩義)」という考えは、フィリピン文化を最も特徴づける柱の一つだ。これは、困っている時に誰かが救いの手を差し伸べてくれた際、生涯にわたって抱く「深い相互の義務感」のことだ。どういうわけか、この「ウタン・ナ・ロオブ」という考え方は、人々の精神に深く根付くにつれて、ある種の武器として利用されるようになってしまったのだ。

 選挙シーズンに飛び交う、見本投票用紙に添えられたパリッとした500ペソや1,000ペソの紙幣が、露骨な賄賂だとみなされることはめったにない。専門家らによると、その500ペソ札は、たとえ数日間だけでも食料を買うことができるため、そのまま胃袋に直行するので、フィリピン語で「タウィド・グトム(空腹しのぎ)」と呼ばれている。

 選挙前であっても、「アユダ」(現金給付支援)という形でお金を受け取ることは常態化している。アユダをくれたのとは別の候補者に投票することは「ワラン・ウタン・ナ・ロオブ(恩を返さない)」のように感じられ、これは比の文化において重大な社会的罪とみなされる。

 人々が「パキキサマ(協調)」の真の意味を理解しているかどうかさえ分からない。この価値観は調和を重視し、互いを相手にとって正しいことを行うべき存在として扱うことを前提に、対立を避けることを強調するものだ。

 一方、選挙に見られるパトロン(後援者)文化は閉じたループを作り出し、不平等を糧として繁栄する。脆弱な立場にある人々は生き残るために支援を与えてくれる者が必要だからだ。

 良い政府の大きな特徴は、自分自身を守ることができない弱い立場の人々をケアすることにある。恩顧主義の文化は国民に正しく奉仕するものではない。この文化が根付くと、市民は国家による基本的な保護を自らの法的権利として見なさなくなってしまう。たとえ指導者が腐敗していたり無能であったりしても、市民は揺るぎない忠誠心をもってその恩に報いるという道徳的義務を感じてしまうからだ。

 先日、比の元入国管理長官だったジークフリート・B・ミソン氏による『公共サービスにおける奉仕型リーダーの7つの資質』という本を見つけた。入管で彼が推進した「ミッション・イミグレーション」というプログラムについて、彼は「奉仕型リーダーは国民を大切にしなくてはならない」「フィリピン人がいなければフィリピンは存在しないからだ」と述べている。さらに彼は、大切にされている市民は自国に対して思いやりを持つようになるとも続けている。これこそ、社会の周縁で暮らす何百万人もの人々にとっての、「カピット・サ・パタリム(わらをもつかむ、運命に身を任せる)」という宿命論的な考えを根絶するものだ。

 「カピット・サ・パタリム」というメンタリティを解決する唯一の方法は、国家が個人ではなく、制度によって保証されたサービスを通じて、実際に市民をケアする体制を築くことである。私たちの民主主義の悲しい点は、比人としての最良の特質が、私たちの生存を脅かす武器として利用されていることだ。

 「ウタン・ナ・ロブ」は忠誠心から生まれるが、政治家たちはそれを武器化した。「パキキサマ(協調)」は調和から生まれるが、これもまた武器化された。これらすべてが通貨へと変換され、私たち国民が彼らに対して持つべき権力を買い戻すために利用されている。

 今こそ、私たちは恩人の与えるパンくずで満足することをやめ、市民として、当然与えられるべき正義を求めるべき時である。(19日・スター、ピア・ロセス=モラト氏)

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